90年代頭にエクタクローム160Aが無くなった時の反応と動きは

 およそ15年程前に、エクタクローム160Aと言うフィルムの国内現像が無くなるアナウンスがされました。

 最近8mmを始めた方にはなじみないですよね。これは、ASA160のスーパー8の高感度タングステンフィルム。

 スーパー8ユーザーにとっては、コダクロームは昼間用、エクタは夜間用みたいな使い分けでしたね。夜間用と言ってもフジクロームRT200より随分と粒状性がよかったです。エクタクローム7240よりも使いやすかった気がします。

 で、この夜間用フィルムが無くなるんだと言うアナウンスがされた際には、けっこう抵抗があったのでございます。

 その中で一番目立ったのは、イメージフォーラムが旗振りになって、フィルム表現を考えるとか、今後の8mm環境を考えるなどの動きを起こしたこと。
 何回もイベントやシンポジウムをやったり、イベント外では署名活動をしたりとかして、新聞やニュース番組の暇ネタとして取り上げられたこともありました。

 あたくしは、そのときは大学生。まさに8mmフィルムを一番消費していた頃です。その頃からシングル/スーパー両刀遣いだったので、エクタが無くなるのは切実な問題です。 そこへ「ある自主映画団体の方」が書名用紙を持ってこられたりとかしたので、もちろん署名しました。

 その頃は、イメージフォーラムが「月刊イメージフォーラム」という教科書大の雑誌を出していて、ほぼ毎号、その活動についての報告が載っていました(たしか1991年の号だったと思います)
 そして、あたくしのところにチラシを持ってきてくれた「とある団体のとある人」の名前がちらほらと出てくるようになりました。そういえばむかし、PFFでも見かけた名前です。ちょっと珍しい名前ですし。

しかし、その人の名前も急激に見かけなくなりました。
というよりも、月刊イメージフォーラムにずっと掲載されていた8mm存続に関する運動の経過記事は誌面にぱったりと現れなくなったのです。
誌面だけではありません。イベントやシンポジウムも無くなりました。

はて?一体あの運動は?どうなったんだろう?
急に何もなくなってしまった、って感じがしたのですよ。お祭りが終わったみたいな感じ。
まあ、あたくしの心情はさておき、何よりも、一体あの運動は何を持ってして終わったのか?いやホントに終わったかどうかもわからないや、と思ったわけです。
もしかしたら誌面に出ていないだけで何か他の事が動いているかも知れない、そして集結しているのであればその結果を是非知りたいと思って、あたくしは他の映画団体が出してたミニコミのページを借りて、記事を書くことにして、その活動のフロントマンであるように見えた人・・・「ある自主映画団体の人」に取材をしてみたのです・・・。

以下そのうちに。

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