1977年3月号の『小型映画』誌。安かったので買ってきました。
ぱーっとチェックしていたところ、非常に興味深いニュースが載っていました。
それは、シングル-8モノクロフィルムの終焉時期について。
記事には、
「富士写真フイルム(現・富士フイルム)は1976年12月23日付けでシングル-8のネオパンR50とR200、そして16mm用のモノクロフィルムの製造を終了すると発表した」とあります。
「さくらフィルム(現・コニカミノルタ。フィルムとカメラの事業は廃業)のスーパー8モノクロフィルムに続いて、8mmのモノクロフィルムが無くなった」と言った内容が続けて書いてあり、この時点で国産8mmモノクロフィルムが無くなったよ、とまとめられています。
記事はこれだけです。ちょっと情報不足ですね。この記事だと、シングル-8、12/23付けで「発表した」にかかるのか、「製造終了」にかかるのか、読み方によって両方意味が取れ曖昧です。
しかしまあ、フジカシングル-8用ネオパンR50とR200は、1976年の終わりから77年頭には製造を終了し、1977年の1月20日前後には店頭在庫もなくなりつつあったことが分かります。
1970年代中盤にリリースされたシングル-8カメラの説明書にもネオパンは載ってましたので、大体1975年ぐらいかなあと思っていましたが、それより1年強も後だったと分かりました。これで1つ疑問が解消。
そうそう、レトロさんは「レトロX」というモノクロリバーサルフィルムをシングル-8マガジンに詰めた商品を出していますが、その製品紹介に書かれている「1960年代終わりに生産が終了してしまったシングル-8のモノクロフィルム」ってのは間違いなのでございます。
実は、ずいぶん前にレトロさんには連絡してるのです。どう考えても1970年代半ばまではフィルムは存在したよ、と。そしたら一回サイトは直ったのです。
でも、それからしばらくしたらまた「1960年代終わりに」に戻ってしまっています。なんででしょう?
[フィルムが無くなると言うこと]
モノクロ8mmフィルムが無くなったことについて、日本国内ではあまり騒がれなかったと聞いています。ところが海を隔てたフランスで、これを憂慮した人たちがいた、と言う話を聞いたことがあります。
これを聞いて、いったいなぜだろう?と不思議に思ったものです。
まあ、1976-7年ですとシングル-8はヨーロッパでも富士が正規に販売していましたので、自分たちの表現範囲が狭められるのを嫌がったシングル-8ユーザーのフランス人が騒いだのかも知れません。
今回はモノクロフィルムとかそういう話ではなく、フォーマット丸ごとの死。いったい、海外からはどう見えているのだろうか?
気になるわけでして。
コメント
白黒フィルムそんなに遅くまで出てましたか。
おそらく最後の方は店頭に並ばず取り寄せになっていたのでは無いでしょうか。
蛇足ながら、私がW8を最後に撮ったのは1975年ですので、W8はその頃までは店頭に有ったと言う事です。