やっぱり、アグファ版のシングル-8フィルムはリリースされていました。
以前、スペインの方から「1966年ごろに使った記憶がある」とコメントいただき、
また日本の某映像関係企業からもやはりリリースされていた、とご連絡いただいていましたが、現物の写真はおろか商品名すらわからないままで、どうにも雲をつかむような具合でありました。
そのまま探索もせずに放置しておいたのでありますが、つい先日、ドイツの知人が、雑誌『Schmalfilm』(ドイツの老舗かつ現行小型映画専門誌。先日廃刊した『SmallFormat』はこれの英語版」の1998年11~12月号のバックナンバーから記事を見つけだして、送ってくれた。
そこには、ずいぶんシンプルなデザインのアグファのシングル-8パッケージ写真が載ってた。
・・・やっぱりあったんだ。
記事の内容は、「富士写真フイルム(現富士フイルム)が、アグファのダブル8用マガジンをぱくってシングル-8マガジンを開発したのではないか」といううわさを検証したもの・・・という、ディープ過ぎる検証(だそうです)。
オチは「そんなことはない。それが証拠にシングル-8規格には率先して参画し・・・」と言う部分で、紹介されてるのがアグファゲバルト製のシングル-8フィルム、
AGFA CT-13 Single-8
なのであります。CT-13はTACベースのフィルムで、その厚みのために10mほどしか巻かれていなかったそうです。
感度はASA16。あれ?ASA25が最低感度では?と思うかもしれませんが、ASA16はシングル8規格上存在する感度で、初代機種のP1もちゃんと対応しています。
これで、P1のフィルムメーターの10m近辺に赤い印刷がある理由の裏づけができました。やはりこれはTACベースでかつ厚いフィルムのために、10mぐらいしか入らなかったアグファのフィルムのフィルムエンド位置を指し示したものなのですね。
これは考古学ネタであります。この情報を現在に活かすとしたら、このシングル-8の現物を入手してフィルムベースを研究してみるということぐらいでしょうか。
コメント
アグファのシングル8フィルムについて
朝日ソノラマの雑誌(クラシックカメラ?)の2007年だったと思いますが、
元富士写真光機のデザイナーの水川繁雄さんが「シングル8カメラ開発物語」(4回シリーズ)の第1回目で書いています。
・・・・・「シングル8」は最初、従来通りのTAC(トリアセテート・ベース)のフィルムで試作したが、どうもマガジンが大きすぎる。その後、スチルカメラの
方で簡易装填の「コダック・インスタマチック」と「アグファ・ラピッドパトローネ」騒動がおきたとき、富士写真フィルムとしてはラピッドパトローネ
陣営に加わる見返りとして、アグファに新8㎜システムでは富士の
マガジンを採用するように働きかけた。アグファはこの技術に感心して
賛同、協力することになったので、両社ではこのフィルム・システムを
「ラピッド8」と呼ぶことに、一旦はなった。
しかし当時、アグファではPETベース・フィルムの技術が無く、従来の
厚いTACベースしか生産できないので、このマガジンでは10m入りの
ものしか作れなかった。その時の名残が初期の「フジカシングル8カメラ」の
カウンターに10mのところの赤ポチとして残っている。これはアグファの
10mシングル8のマガジンのエンドマークなのである。
アグファは「ラピッド8」のフィルムまでは試作したものの、その後
「ラピッドパトローネ」の失敗と共にスーパー8の陣営に下ってしまい、
カメラは世に出ることもなく、フィルムも「フジカシングル8カメラ」の
カウンターに赤ポチを残しただけで夢と消えた。・・・・・後略」
以上 (八王子市 佐竹章一)