七里圭が二度と撮らない映画『眠り姫』とエクタクローム160A

フィルム

先日見て参りました。試写会場でいただいたたくさんのプレス資料には、秋から冬にかけての七里さんの新作やら旧作再映やらの情報がいっぱい。お忙しいようです。
その中で、もっとも気になったのは以下の一節。

※サラウンドリマスター版のちらしです

「こんなねじけた映画を、二度と撮る気にはならないでしょう」

七里さんが自作を称した言葉です。ねじけ?ねじけって?
言葉は知ってますがねじけ・・・なんだろう。

ただ、私にはこの映画すごく変わっていると感じられました。
この映画、人が被写体でないのです。ほとんど人が登場しません。
それでも人間ドラマが展開していきます。
ホントふしぎだなあと感じます。
ですがその不思議な気持ちは、こんなあんまり例のない手法を採った映画に対して、すーっとなじんでいく自分に向かっています。

なんでこんなにすーっと見られるのだろう。しれっとしたユーモアがそこここに見え隠れする、この雰囲気でしょうか。それとも、猛烈な既視感のあるショットがちりばめられているからでしょうか。

二度と撮る気にならないでしょう、と理由は最後までわかりませんでした。
ですが、この感じ他では味わえないものです。

[エクタクローム]

実は七里さんからいただいた試写状には、すごくそそられる手書きメッセージがあったのです。

それは、「十数年前のエクタクロームを使っています」

エクタクローム!
この場合、エクタクローム160 TYPE Aと言う今は亡きスーパー8用フィルムのことです。

90年代頭、このフィルムの販売終了がコダックから報じられました。
すると、当時の8mmユーザーの間に波紋が生じました。そして、このフィルムが無くなることによって生じた数々の問題を扱う運動がスタートしました。
その旗振りをしていたのがイメージフォーラム。そしてその運動のお手伝いをし始めたうちの一人に、当時早稲田大学シネマ研究会にいた大学生・七里圭さんがいました。

当時七里圭といえば、高校生の時、1985年PFF(ぴあフィルムフェスティバル)に『時を駆ける症状』をひっさげて現れ、一躍注目されたあの男と言う感じでした。

単に運動のお手伝いをしていただけならば別にどうということはありません。いろいろな事が起きたのです。
それ故に、エクタクローム160Aと言うフィルムと七里圭との間には、他の8mmフィルムとは全然違う意味合いがあるのです。

そんなわけで、わざわざ試写状に書かれた「エクタクロームを使ってます」

その映像と使い具合、16年の年月を経たフィルムがどうなってるのか、
16年の眠り姫を呼び覚ますのはなぜ?

ご興味のある方はご覧ください。

12月14日まで渋谷・ユーロスペースのレイトショーで公開中です

監督・脚本・撮影 : 七里圭
原作 : 山本直樹
声の出演 : つぐみ 、 西島秀俊 、 山本浩司 、 大友三郎 、 園部貴一

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